■たわごとですかーっ!!■



▼【バッタリ会う】 05/01/27

人と人とは、何か得たいの知れない何かで結ばれているのではないか。
バッタリ会う。
人はしばしばこんな状況に出くわすのである。
この様な人と人とのふいの再会にもレベルがあり、そのレベルにより起こす行動は様々である。
例えば、5年後にバッタリ会ったとしよう。
その、バッタリは「やあ、久し振り」と軽く手を振るくらいで済むだろう。
だったら10年後にバッタリ会った場合はどうか。
「おぉ、久し振りじゃないか」
少々懐かしさを覚え、時間があれば、お茶でもしながら積もった話で盛り上がるのだろう。
この様な、5年後、10年後のバッタリはまあ良いだろう。問題はここからである。
50年後にバッタリ会う。
もし、すれ違いざまバッタリと会った相手が50年振りだとしたら、少々勝手が違ってくるのではないか。

向こうとこっちから二人の男性が歩いてくる。次第に近付く二人、そしてすれ違いざま、ふと目があった。その刹那、相手の目は次第に大きく見開かれ、そしていまにもなにか言い出しそうなそんな口元である。
しばらくお互い、相手の顔を見合っていたが、ついに一方の男の口から声が発せられた。
「あのぉ…」
50年振りである。無理もない話だ。「あのぉ…」が精一杯なのだろう。
そして、その声に促されるようにもう一方の男の口からも声が発せられた。
「あなたはもしかして…」
懐かしさから、つい発せられた言葉である。
しかし、問題は更に続く。50年振りなのだから仕方ないと言えば仕方ないのだろうが、なかなか相手の名前が思い出せないのだ。
こんなときは取りあえず適当な名前で相手の様子を見てみるに限る。そう思い、一方の男は相手に向かって名前を呼んだ。
「ゴンザレス」
いきなりきたか。
確かにあまりにも突然なことなので、つい頭に浮かんだ名前を口にしてしまうのも無理はないだろうが、それにしたって「ゴンザレス」はないじゃないか。
「ゴンザレス」は少々問題である。なぜなら相手は日本人だからだ。
やはりここは、贔屓目に見ても「たごさく」程度に留めておいた方が良いだろう。が、しかし、必ずしもそれが当たっているとも限らず、そう言う観点から言って、あまり妙な小細工はしないほうが身のためかも知れない。

そうこうしながらもなんとなく、その場の雰囲気で二人は打ち解けあい、会話もいつしか弾みに弾んでいる。いったい何を話しているのか分からないが、まるで他人が入る余地などない、そんな二人の世界に浸っているようである。
例えそれが別人同士だっていいではないか。なにしろ”50年振り”なのだ。大目に見てあげようではないか。
いいのか、本当にそれで…
50年という月日、それは誰の身にもいつの日か重くのし掛かる堆積した地層である。

byクムラ〜



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