■たわごとですかーっ!!■



▼【誉める】 04/09/20

人は誉められること好む。誉められることにより次のステップへの更なる意欲が沸いてくるのだ。
この、誉めるという行為の最上級は賞賛である。賞賛は裏付けがなければ、けっして得ることのできないものである。したがって、賞賛されるためには人並み以上の努力が必要なのだ。
そして、賞賛に値する人間がひとたび見つかれば、人は賞賛せずにはいられないのである。

ひとくちに賞賛と言っても、人を賞賛する方法は色々ある。良く用いられる方法にこんなものがある。
たとえばここに一人の優れた体操選手がいたとしよう。
人々は彼を褒め称えるため、こう言うのだ。
「体操をやるために生まれてきたようなひと」
なるほど、これほどの誉め言葉はないだろう。なにしろ、その人は体操が好きで好きでたまらないか、若しくは、体操界の頂点に立ちたいと願っているに違いないからだ。
しかし、体操選手の場合はいいだろうが、たとえばこんな場合はどうだろうか。
「シーソーに乗るために生まれてきたようなひと」
シーソーである。
その人を見れば、いつもシーソーに乗っているに違いないのだろうが、そんな風に誉められたところで、釈然としない何かがある。
また、シーソーほどではないが、「草むしりをするために生まれてきたようなひと」も、何かピンと来ないし、ましてや、「ノミ取りのために生まれてきたようなひと」に至っては、おまえは人間なのか、と疑わしくもなってくるが、いったい体操選手とこれらの違いはなんなんだろう。
大幅に違うような気もするが、冷静に見ればどれもこれも一生懸命と言う点においては違いがないのではないか。

ここでひとつ注意しておきたいことは、「〜のために生まれてきたようなひと」と言う言葉は、暗にこう言っているとも言えるのではないか。
「バカの一つ覚え」
バカは、なんとなくやだなあ。
そう贅沢も言っていられないが、しかしそう言う観点からすれば、体操のバカの一つ覚えは、まだ諦めが付くが、「シーソーのバカの一つ覚え」は、よほどどうかしてしまっているし、「ノミ取りのバカの一つ覚え」に至っては、すでに人間界を離脱してしまっていて、半ば凄みさえも感じてしまうほどだ。

この様に、バカには何が何だか分からない魅力があり、人間はバカになり没頭することによって、何かを得るのである。
だがしかし、、、
なんとなく、バカの中のバカにはなりたくないなあ。

byクムラ〜


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