■たわごとですかーっ!!■
▼【なんとなく、はた迷惑】 03/05/24 人にはやって良いことと、いけないことがあるのはご存じだろう。 やっていけないことをやる。それは結果的に、はた迷惑であり、他人への悪影響を意味する。それが例え些細なことだとしても、他人に取っては大きな問題ともなり兼ねないのだ。 ここにオヤジが二人いるとしよう。 オヤジが二人と言うだけで、何かただごとならないものを感じるのはオレだけだろうか。 一人は白髪まじりのちょっとダンディ風のオヤジ。もう一人は頭がすっかり禿げ上がってしまった格幅のいいオヤジである。 この際、オヤジの容姿はどうだっていい。なにしろオヤジが二人である。 通常、オヤジが二人でいるとなれば、その状況を見て考えられることは、仕事上の打合せ、もしくは、ばったり久し振りに会って立ち話だろう。 はたして、ほんとにそうなのだろうか。 だったら、これをどう説明したらいいのだろう。 オヤジどうしの自転車二人乗り。 しかもこともあろうに二人は笑顔だ。 「ニコニコ笑顔で自転車の二人乗りをするオヤジ」 いったい何事なんだ、これは… 何か事情があるのだろうか。 オヤジどうしの二人乗りは、何かしら、ただごとならないものを感じるのだ。 また、趣味で集うと言う場合もあるだろう。オヤジどうしが縁側で将棋と言うのは良く見掛ける光景である。 だが、これが、ことオセロだったりなんかすると、これもまた何か特別な事情を感じるのだ。そう言った意味においては、おはじきなんかもどうかと思うし、あやとりは、言語道断なのではないか。 やだなあ、オヤジが仲良くあやとりは… だがしかし、そうは言ってもこれらはれっきとした趣味である。 他人にどうのこうの言われる筋合いのものではないだろう。 「わしらの趣味は二人乗りなのじゃー」と元気良く宣言されるのもどうかと思うが、やはり人の趣味、嗜好にあれこれ注文をつけるのはいかがなものか。 だがしかし、80歳のオヤジ、いやオヤジどころの話ではない、この場合老人である。その老人が、もし、米つきバッタよろしく、腕立て伏せを200回も300回もやったとしよう。その迷惑もまた、他人に取っては計り知れないものがあるのではないか。 しかし誰も、なぜそれが迷惑なのか漠然としていて分からない。ただなんとなく、はた迷惑なのだ。 オレは、敢えてそのはた迷惑に挑戦しようと思う。 気が遠くなるなあ、そのはた迷惑は… byクムラ〜 |