■たわごとですかーっ!!■



▼【入れ墨がもたらす悲劇】 03/04/20

ここ数年、若者の間ではファッションのひとつとして、小さな入れ墨を施すというのが静かなブームになっているようだ。
だが、日本人に取って入れ墨は、まだ何かしらヤクザ的な禁断の領域と言うイメージが色濃くあり、一般市民には受け入れがたいものとなっている。
しかし、こと外人において入れ墨はなんら特別なものではなく、ごく普通のさり気ないファッション、自己主張のひとつとして確立されているのである。
そうは言っても一度施された入れ墨は簡単に消せるものではない。

外人の間で密かな流行となっている入れ墨に日本語がある。それも漢字である。
「一番」や「最強」「闘魂」など、それは強さを示すものが多い。
そもそも、ろくに日本語など知らない彼らである。意味も分からない文字を入れる。それがまた隠れたお洒落と言うことなのだろうか。

ここにアメリカ人の一人の男がいる。彼の名を仮に、シェーンとしよう。
シェーンもまた、入れ墨に日本語の漢字を入れようと考えたのだ。
そして彼は、なにか魅力のある格好のいい文字はないものかとあれこれ模索した。辞書を首っ引きで調べたのかも知れない。
そして苦心しやっとのことで決まったその文字、それは「稲妻」であった。
あの閃光が走る稲妻である。
その迫力とスピード感、それはまさに彼の望んでいた言葉だ。

数日後、シェーンは意を決し、自分の背中に入れ墨を施した。
そして、完成。
きっと「稲妻」と言う文字が、力強く自分の背中を守ってくれてるに違いない。
シェーンはそう信じ切っていた。それを見るまでは…

自分の背中をわくわくしながら鏡で見る。
しかし、なにか違う。微妙に違うのだ。鏡で見ているため、少々違って見えるのかも知れない。
頭の中で「稲妻」と言う文字を裏返しにしイメージする。しかし、やっぱりそれは、ち・が・う…
どう見ても違うのだ。
しかし、彼にはその文字がなんであるのか分からない。アメリカ人だからだ。
では、彼の背中を大きく支配した入れ墨の文字、それは一体なんだったのだろう。

「稲作」

念のため声に出して見よう。
い・な・さ・く…

やはり、どうしたって稲妻ではない。微妙に似ているが、それはれっきとした「稲作」である。
かっこ良いはずの背中のシンボルが、稲作ってことはないじゃないか。
たかだか、「妻」が「作」になっただけではないかという向きもあるかも知れない。しかしながら、それは、ぜんぜん違うよ、意味。

そこで誰かが彼にこうアドバイスした。「だったら、名前ということにしたらどうだ」と…
試しに彼は自己紹介してみた。
「僕の名前は稲作です」
なかなかいけてるのではないか。もし名前が稲妻であったのなら何かしら違和感を感じずにいられないが、いま彼の名は稲作である。名前として十分通用するではないか。
さしずめ、彼の名は、稲作シェーンと言ったところか。
なんかやだなあ、そんなシェーンは…

日本語をアメリカ人に彫って貰ったのがそもそも間違いだったのかも知れない。
ただ一つ残った現実、それは、稲作が彼を一生支配すると言うことだ。稲作に慣れるまでいったいどれだけの月日が掛かるのだろう。
一刻も早く、稲作に慣れることを祈っている。
何事も、「習うより慣れろ」だからだ。

byクムラ〜


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