■たわごとですかーっ!!■
▼02/07/07【サッカーにおける間(ま)がもたらすもの】 芝居の上手下手は役者に取っては非常に切実な問題であり、ややもすればその人の生活をも脅かす事態にならないとも限らない。それはそれを商売にしている分けだからもっともなわけだが、芝居はなにも役者に限ったことではなく、それはスポーツの世界においても見受けられる。 例えばサッカーである。 日韓共催Wカップも終わったばかりだが、そのサッカーにおいてもやはりその芝居は存在し、それが確固たる技術の一つとして存在するのである。 サッカーにおける芝居、それはなにも試合そのものが芝居だと言ってる分けではない。 誰が見るんだ。そんな出来試合。 相手選手のアタックを受ける。 アタックを仕掛けられた選手は、もの凄い勢いで吹っ飛ぶだろう。 そこまでやるのか、おまえ、、、それくらいの勢いである。 そうなのだ。アタックを受けたらなにがなんでも大袈裟でなければならないのだ。 それがサッカーにおける転倒の鉄則なのである。 大袈裟に転んだからには、いきなり立ち上がってはいけない。元の木阿弥だからだ。 横目で様子を伺いながらしばらくは悶絶せねばならない。そういうものである。 たまに、何事もなかったかのようにプレーが続けられていることがあるが、それはそれで寂しいもので、だからと言っていつまでも悶絶している振りをしている分けにもいかないだろう。なぜならそれは単なる1人芝居だからだ。 そんな時はやはり、おもむろに立ち上がり何事もなかったようにプレーを続けるのが懸命である。 なぜそこまでして大袈裟に立ち回らねばならないのか。 けっして情けを掛けて貰いたいわけではなく、ファールをもらいたいからなのである。 いかに被害を被ることなく相手からファールをもらえるか。それが大きなポイントとなる。 しかしながら、その選手はいつまでたっても起きあがってこない。 いったいどうしたと言うのだ。 ほんとに痛いのです。 よほどのことだったのだろう。額からは脂汗が出ている。 このように、本当に痛いファール、または、ファールと呼ぶにはちょっと気が引けるようなファールと色々あるのだが、そのようなとき、審判はしかるべき措置を取る必要にせまられる。 それが、イエローカードであり、レッドカードである。 ホイッスルが鳴り、審判が選手に歩み寄る。 そしておもむろに、ごそごそと胸のポケットに手を突っ込んだ。 出た。イエローカードである。 それを見た選手は、うなだれるだろう。 なぜならそれが、イエローカードだからである。 ここで問題としたいのは、ポケットに手を突っ込んでから、カードを出すまでのその「間(ま)」である。 その「間」がもたらすなんとも言えない空気。これはいったいなんなんだろう。 選手に取ってはなんとも言えない嫌な「間」であるだろうし、見ている側に取ってもまた然りである。 主審の手がポケットに伸びる。 いったい何が出て来るんだろうと言う不安が選手の頭をよぎる。まさに緊張の一瞬である。 そして、ついに主審はポケットから審判をくだした。 ペロペロキャンディ。 主審は自信満々にペロペロキャンディを選手に差し出す。 ちゃんと棒が付いているやつである。 だとしたらもう、ありがたく頂いて舐めるしかないのではないか。 だからと言ってその後の試合になにか変化があるかと言えば、そうでもない。 あるとすれば、ペロペロキャンディをくわえながらプレーをしている選手がいるという事実、それだけである。 だがしかし、それがペロペロキャンディである保証はなにもなく、もしそれが、はんぺんだったとしたらどうするんだ。 はんぺんだよ、は・ん・ぺ・ん。 どうしたって、ふにゃふにゃしてるだろう。 あーやだやだ、ふにゃふにゃしてるのは。 ふにゃふにゃはけっしてサッカーには向かないし、あれはどう見たって三角じゃないか。 オレには責任が持てません。 やはりカードである。 カードと言うと、タロットカードなんかもあるにはあるが、プレー中に占ってもらってどうするんだ。確かにその後の試合の成りゆきが気になるところだろうが、そんな暇があったらさっさと試合をせよ、と言いたい。 まったく呆れるばかりである。 そのような余計なことを考えてしまうのも、そもそもポケットがいけないのではないか。叩けば、ビスケットが出てくる始末である。 なんて素敵なポケットなんだ。いつもありがとう、ポケット。 なにしろ、ポケットがその怪しげな「間」をもたらす原因となっているのは確かである。 ポケットに手を入れる、その間がいけない。 それと言うのも、やはりそこにカードが存在しているからであり、それを取り出すためにはポケットに手を突っ込まなくてはいけない。そこにその間は生まれる。 だったら、カードである必要もないわけで、口で言えばいいじゃないか。 「あなたはイエローカードな人であります」もしくは、「イエローカードをご覧じろ」でもいいだろう。 しかし、何がなんでもカードを出したいらしく、選手がそのカードを見て「それはなんですか」と問いかけたところで審判は何も答えてくれない。なぜなら、カードを出しているからだ。やはりカードが共通言語なのである。 カード恐るべし。 サッカーにおいて、ポケットの間がもたらすその不安はイエローカードであり、期待はペロペロキャンディである。 byクムラ〜 |