■たわごとですかーっ!!■



▼02/05/19【名前を書く】

日本人にとって自分の持ち物に名前を書くという行為は、他人の持ち物と自分の持ち物を区別し、個人の財産を保護するという意味において、物心付く頃から習慣づけられてきた行為である。
そしてそれは、筆箱や鉛筆、ランドセルに至るまで、ありとあらゆるものに付けられた。
そして当然、このようなものにもそれは記された。

「パンツ」

オレのパンツには、黒のマジックで基本通りに太く大きく書かれていたし、見ればその持ち主が誰の物であるか一目瞭然であった。
そしていつもパンツに記されていた名前、それは。

「へちまる」

いきなりきたか。
それは黒のマジックで太くはっきりと書かれているだけに、誰がどう拾おうとその持ち主が、「へちまる」のものだと分かる。
だがしかし、パンツに「へちまる」ってことはないじゃないか。
誰がどう考えても、へちまるが一目瞭然では困ります。
そもそも根本的かつ重要な問題は他にある。
オレの名前じゃないよ、それ。

自分の名前とは異なる名前が記されているパンツ。しかもいついかなるときもそれは「へちまる」であり、一目瞭然なのだ。
これにより考えられることとはなにか。

「パンツを拾った」

なるほど、拾ったものならそれがたとえ自分の名前じゃなくても頷けるだろう。しょうがないな、うん、しょうがない、、、

バカを言え、拾ったパンツがいつも「へちまる」のパンツなわけがないじゃないか。
そもそも拾ったパンツを履く奴があるか。

「パンツを盗む」

なるほど、盗むものと言ったら大抵他人のものだ。
自分のものを盗んだって、なんの得にもならないだろう。
・・・

いい加減にしてくれたまえ。いつも「へちまる」のパンツを好き好んで盗むやつがあるか。
中にはいるかも知れないけど。
それは、へちまるマニアの仕業であるとしか考えられないのである。
だったらもうこれしかないだろう。

「自分で書く」
「へ・ち・ま・る」と自分で書くのだ。
なるほど、自分で書いたのなら誰も文句は言えないだろう。

こんな素っ頓狂な偽名を使う意味がどこにあるんだ。

実を言うとこれはオレの親父のしわざなのである。
親父は施設の指導員をやっており、そこのある子供の親が、世話になっているお礼だと言ってことあるごとにパンツをくれるというのである。
子供用であるから当然、そのパンツはオレに回ってくる。
しかし困ったことに、へちまるである。
何者だ、おまえは。

しかし、せっかく好意でくれたものである。その好意を無にすることはできないだろう。
実際のところ、名前が書いてあるとは言っても所詮パンツである。パンツと言えば一般に下着の部類に含まれる。
下着というだけに、普通の人は上着の下に着るのであって、下着を上着の上に着る人はこの場合例外としておきたい。なぜならその人に取って下着は上着だからだ。
したがって普段、パンツはひとの目にふれる分けでもなく、であるからさしてオレは気にもとめていなかった。

もし、ズボンのお尻に大きく「へちまる」だとしたらこんなに呑気にはしていられなかっただろう。
なにしろ立ってしまったら呑気に歩いている場合ではないのだ。常に走っていなければならない。
なぜなら、歩いたら最後、世間にズボンのお尻をさらすことになり、結果、オレの正体がへちまるであるということがばれてしまうからだ。
ばれたらどうなるか知れたもんじゃない。ややもするとこの地球上にいることもできなくなるかも知れない。
よって、パンツにへちまるは幸運だったと言えるだろう。

しかし、そんな呑気で平穏なへちまる生活は長くは続かなかった。
身体検査である。
このとき、へちまるを隠すのにどれだけ苦労したと思うんだ。
並大抵の苦労ではない。
なにしろ、ものが、へちまるなだけにばれればおおごとである。
身体検査の度に訪れるその苦労。
そんな苦労な時代を誰も分かってはくれない。
しかし、そんな時代があったからこそ、いまの自分があるのではないか。

いらないよ、そんな時代は。

ただひとつ教訓として残ったこと、それは、、、

パンツに名前を書くのはかなりまずい。
って言うか、書かんだろう、普通。

byクムラ〜


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