■武蔵を語る■
【第37回 巌流島への道】 細川忠興は苛立っていた。忠利から武蔵と小次郎の立ち会いに対する受諾の返事がなかなか来ないからである。 その頃、柳生宗矩は真剣での勝負を岩間角兵衛に提案していた。真剣である。ジャンケンではない。まさに真剣勝負、生きるか死ぬかである。 角兵衛がそれを小次郎に伝えた。無碍もなく小次郎は承知する。 そして、児島備前も武蔵にそれを伝え、武蔵もまた承知した。 決闘の場所がついに決定した。舟島である。 のちに小次郎の流派である巌流から取って、巌流島と呼ばれるようになったとされる島であるが、この当時はまだ舟島である。 しかし、名前が変わったのではなく、もともと舟島と巌流島の二つからなる島であったとする資料もある。今となっちゃどうでもいいことだけど。 武蔵は策を練っていた。如何にして小次郎と戦うかである。ポイントは小次郎の剣であろう。小次郎の剣はなにしろ長い。物干し竿と呼ばれているほどである。しかし物干し竿と呼ばれてはいるが、実際、本当に物干し竿のように長かった分けではない。だってそうだろう。そんな長い刀、どうやって持ち歩けと言うんだ。百歩ゆずって、肩に担いで歩いたとしよう。気が付いたら洗濯物で一杯でした、と言うことになりはしまいか、それが心配なのである。要らぬ心配だよ。 いくら長いとは言え、常識の範囲は越えてはいないのである。 しかし常識の範囲を超えていないとは言え、通常の刀に比べれば長いのは確かで、刀身3尺(約90センチ)全長5尺(150センチ)と言うから、やはり、通常の刀に比べれば長いことこの上ないのである。 その刀を相手にどのように戦うか、武蔵は思いを巡らすのだった。 あまりに思いを巡らし過ぎたのか、突然、武蔵は姿をくらましてしまった。行方不明になってしまったのである。 やがて、武蔵は臆して逃げたのでは、との噂が立ち始める。困ってしまう児島備前。そんな備前を見て、孫の三之助は涙ながらに訴える。 「武蔵は決して逃げたりなどしない」と。 当の武蔵は呑気に船に揺られていた。しかし、別に遊覧している分けではなさそうだ。そこまで呑気ではないらしい。 戦いの場となる舟島へ行っていたのである。 目的は下見だ。 なんて用意周到なんだ。 太陽の方向を見、汐の流れを調べる。 これが武蔵なのである。何に対しても、下準備を欠かさないのだ。 一方の小次郎はどうだ。角兵衛から舟島の下見を薦められても必要ないと言う。 なんとも男らしい潔さ、それに比べて武蔵は何だ。何だと言われてもそれが武蔵なんだから、しょうがないのである。 武蔵は下関で宿を取り、ひたすら考えていた。そして、おもむろに船の櫂を手にする。どこからか貰ってきたものらしいが、いったいそんなもの持ち込んで、何をしようと言うのだ。まさか、職替えをしようと言うのではあるまいな。船頭もけっして楽な仕事じゃないぞ。 そして武蔵はおもむろにそれを削り始めたのである。 やがて武蔵の廻りは櫂の削りかすで一杯である。掃除が大変そうでなんだか心配だが、この際そんなことはどうでもいい。 武蔵はその櫂を使って戦おうと言うのだ。 何か他にあるだろう。しかし、櫂でなければダメらしい。 とにかく、ひたすら櫂を削り続ける武蔵なのだった。 あまり没頭し過ぎると、注意しなくてはならないのは削り過ぎである。 嫌だよ、ふにゃふにゃの木刀は… いよいよ次回は巌流島の決闘である。 byクムラ〜 |