■たわごとですかーっ!!■
▼【感動の方法】 03/08/29 夏のテレビの一大イベントと言えば、いまや24時間テレビである。 もう何年やっているのだろうか。 なにしろ「愛は地球を救う」と言うキャッチフレーズは日本国民に浸透しきっているのだ。 この番組には核となる企画がある。24時間と言う時間を一貫する企画である。 「走る」 24時間、ひたすら走るのである。ひたすら走る事で感動を呼ぶのだ。 しかしながら、いつも思う。なぜ走るのかと。 いつもいつも走ることはないのではないか。他に感動することはいくらだってあるはずである。 例えば、こんなのはどうだ。 あくびをする。 24時間、あくびをし続けるのだ。 これはもうなんていったらいいんでしょう。 やってる本人も涙が出て止まらないのだ。 だがしかし、驚いたことに見ている方は、さっぱり泣いていないのである。 中には意に反し、笑っている者までいる始末である。 これはいったいどうしたことだ。 あくびだからである。 開いた口が塞がらないとは、このことである。 どうやら、あくびは企画倒れになりそうな危険をはらんでいる。 とにかく感動を与えねばならない。 人に感動を与えるにはポイントがあるのではないか。ただ無闇に泣かせようとしても駄目である。ただ泣かせれば良いというのなら、頭をぶつか、若しくは、タマネギを切らせれば万事済むことである。 しかし、いま、感動させて泣かせなくてはならない。 そのポイントとは何か。 人には切なさという感情がある。なんだか分からないが気が付いたら泣いている。それを切なさという感情により、感動へと昇華するのだ。 その切なさをなんとしてでも具現化しなければならない。 だったらこれしかないだろう。 「独り言」 ひたすら独り言をつぶやき続けるのである。 「独り言をつぶやく人は何かしら切ない」ということが知られている。 そんなこと初めて知ったと言う人もいるかも知れない。それも無理のない話だろう。 オレが決めたからさ、いま。 その人は、何か、ぶつぶつ言っているようだ。しかし何を言っているのかは分からない。 何とか知りたいと思い、耳を澄ます。しかし分からない。それならと、口の動きで判断しようと試みるが、その口の動きも最小限の開閉であり、やはり分からないのである。 そうこうしているうち、見ている者からこんな声が漏れ始める。 「あぁ…、切ないよ、切ない。」 思わずたまらなくなったのだろう。 これほど切なく、そして泣けることもないのではないか。 だがしかし、いまいち泣ける理由が分からない。 一言で言うならば、 「モヤモヤする」 これに尽きるだろう。 だってそうだろう。なにしろ、24時間、ひたすら分けの分からない独り言を聞かされ続けるのだ。モヤモヤしない方がどうかしてるだろう。 やがて、その、モヤモヤは、怒りに変わる。 人は気付くのだ、それが、切なさではなく、それを見ている自分への情けなさだと言うことを。 人に感動を与えるには、やはりゴールがないとダメらしい。 いつまでたっても尽きないモヤモヤは誰だって嫌なのである。 こんなの書いてるオレもつくづく情けなくて嫌だなあ。 byクムラ〜 |