■たわごとですかーっ!!■
▼02/10/20【長靴の履き方】 秋は長雨。 子供の頃、雨の日は非常に憂鬱だった。 神経痛が出る。 そんないぶし銀の入った子供だったわけではない。 憂鬱の原因は、長靴である。 なにしろ長靴を履くことに抵抗があったのだ。 その当時、その思いは他の皆も同じだったはずであり、実際、長靴を履いて登校する生徒は数えるほどしかいなかった。 どれほど長靴が格好の悪いものの象徴であったかお分かりだろう。 しかし、おふくろは許さなかった。 「雨の日は長靴に決まってるだろ」 それがしごく当たり前のことであり、いくら格好悪いのうんぬん言ったところで聞き入れてはくれなかった。 しかたなくしぶしぶ長靴を履いて学校へ向かう。 なんてかっこ悪いんだ。 きっと皆、内心オレのこの長靴姿を見て笑っているに違いない。 そう思うともう穴があったら入りたい気持ちにかられるのだった。 しかし、そばに手頃な穴がある分けでもなし、穴を掘る技術もなし、ひたすら耐えるオレなのであった。 どうしてオレだけ、、、 雨の日のたびに訪れる苦痛。 いっそ登校拒否などしてみようか。 しかし、当時、登校拒否などという言葉はなかったのではないか。 なぜなら、そんなことを考えても見なかったからである。 そしてある日、ついに画期的な方法を編み出した。 いままで、どうしてそんなことに気が付かなかったんだ。 人間、極限に達するととんでもない力を発揮するものである。 その画期的な方法とは。 ズボンの裾を長靴の外に出してみました。 「ブラボー!」 オレは思わずそう叫ばずにはいられなかった。 これなら誰が見ても長靴だとは分からないだろう。 足下からのぞく光加減が小粋でさえある。 我ながらなんて頭がいいんだ。 しかし、これも問題がないわけではなく、注意しなければならないことは色々とある。それは、、、 片方だけズボンがずり上がっている。 ちょっと気を抜くと、知らぬうちにズボンが上がってしまい、せっかく隠れていた長靴が出てしまっているのである。 これではせっかく編み出した大技が台無しである。 しかも片方だけと言うのは、傍目から見てもかなりの異常事態であり、ハックル・ベリー・フィンとも言われかねないのではないか。 皆、オレのその姿を見て口々に言うのだ。 「あの人見てよ、まるでハックよ」 これほどの屈辱があるだろうか。 しかしなぜトム・ソーヤーでないのか。 なにかしらハックル・ベリーの方が恥ずかしいからだ。 私がそう決めました。 また、裾が細いズボンの場合も非常に危険である。 裾が細いと言うことは長靴の外に出すのはかなりきついものがあり、それでも無理に出すとちょっとどうかと思うような不自然なスタイルとなることは必至である。 裾が細いズボンの代表と言ったら、そう、ジャージだろう。 長靴の外にジャージの裾を出すことを考えても見なさい。それがどれほど大変なことか想像できるだろう。 そもそもジャージに長靴はないじゃないか。 こういったことからズボンの選択にも十分留意する必要があるだろう。 また、まかり間違って、半ズボンなんか履いたりしたら問題外である。 裾を入れようと裾を捜したところで裾はないからだ。 長靴の外に裾を入れるに当たっての注意点を色々と述べたわけだが、しかしちょっと考えて見て欲しい。 日頃からあまり長靴のことばかり気にしていてはいけないのではないか。 頭の中の片隅にはいつも長靴、ちょっと暇があれば長靴、いっぷく時に長靴。なにしろ無意識のうちに長靴なのである。 はたしてそれで良いのだろうか? 長靴への強い思い入れもいいだろう。 しかし、それがいつしか悲劇を生むのではないか。 オレが一番恐れていること、それは。 晴れなのに履いてしまう。 雨でも晴れでも関係ない、とにかく無意識のうちに長靴を履いてしまっているのだ。 そして当然のように裾を長靴の外に出す。 出さずにはいられないのだ。 完全に儀式化しているとも言えるだろう。 ふと我に返ると、なにがなんだか自分でも分からなくなってしまっている。 雨の日の長靴。 たかだかそんな程度で悩んではいけない。 晴れの日の長靴が重大なのだ。 byクムラ〜 |